というのはわたしの言葉ではない。
わたしは、どっちかというと逆らいたいタイプかも…

逆らっても何も変わらないというのはわかってるけど。
私は権力に逆らわないと決めた。逆らったとしても、付いてくる人がこの国にはいないのです。だったら無駄な努力はしない。(p. 418)
という古賀の言葉も十分理解できる。
栞子みたいな経済音痴にとっては難しかった。
最初の方で新米記者の池内がレクチャーを受ける場面があるので、わたしも一緒に受けてる気分で読んでいったけど、ついていけなかったわ。
でも、ストーリーとしてはとても興味深く、おもしろかった。
相場さんの小説は、実際の出来事を彷彿とさせる描写が多く、事実とフィクションの境目がさっぱりわからない。
「アシノミクス」とか「紅葉狩りの夕べ」とかは「ほぅ、ほぅ、あのことね…」なんて思いながら読んだ。←その程度の認識しかない残念な自分

物語の進展とともに、新型コロナウイルスに翻弄される世情も表されている。
著者がコロナ禍における政府の対応やワクチン激推しをどう考えているのか知らないけど、
新型コロナウイルスを巡ってはフェイクニュースが蔓延し、考えることを放棄した人々が激しく動揺しました。(p.418)
この言葉に表れているのかなとも思う。
たしかに、人々は自分で考えることをやめた。
テレビから流される情報を疑わず鵜呑みにしている人がどれほど多いことか…。
視聴者を怖がらせれば視聴率が上がる。
視聴率を上げるためにはなんでもありだ。
<コンクリートの道端に咲いてるスミレ>
こっち側とあっち側の両方の情報を提供して、視聴者に判断を委ねるべきだと思うけど、こっち側の情報しか流さない。
印象操作か、どこかに対する忖度なのか。
印象操作か、どこかに対する忖度なのか。
あっち側の情報は視聴者が自分で探して手に入れるしかない。
テレビしか見ない人は、こっち側の情報が全てだと信じ込む。
なんか、恐ろしくなってくるよね。
おっと、話が逸れてしまった…。
物語の結末はスカッとはしない。
だいたいこのテの小説はこういう終わり方だと思っているので「なるほどね」という感じだ。
この作品は「不発弾」の続編だそうで、そっちを先に読んだ方がよかったみたい。
早速図書館に予約しておこう。